少女礼讃 作品
2019-01-01
少女礼讃
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もっと、青臭く、泥臭く、青二才な頃の、僕の心が顔を出して、
超下手だけど、超エモく撮れていたはずの自分が、うらやましくなる。
これから私は、“少女”を礼讃(らいさん)の気持ちで、撮りたい。
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私は、1998年(二十歳の時)に写真をはじめて、
昨年(2018年)に、不惑の年を迎えた。
「ソラリーマン」と「スクールガール・コンプレックス」というふたつの作品において、
“記号と個性”をテーマとして、人を撮り続けている。
どちらも、撮り集めてゆくことによって、
個性を表出させたり、記号性を抽出したり、
おおよそマクロ的な視点でもって、人をとらえようとしてきた。
昨年の夏、ひとりの女性に出会った。
名のあるモデルでもなければ、撮影経験もないという。
はじめて撮影したときに、
「この子を、“少女”として撮り続けたい」
そう、直感的に思った。
撮りながら、気づき、考え続けることになるのだけれど、
この子には、“少女らしさ”が、眩いほどに詰まっている。
それらは、私たちが押しつける“理想の少女”だけでなく、
剥き出しになった”少女自身”の姿でもあるのだ。
どこまでも、ひとりの“少女”を撮り続けてゆく、撮り深めてゆくなかで、
私は、人を撮ることの深淵に、飛び込んでいきたい。